パートナー 弁護士・弁理士 王勇

 

    2024年6月14日、最高人民法院知的財産権法廷は、吉利対威馬の技術秘密侵害事件の終審判決書((2023)最高法知民終1590号)を発表し、6.4億元(約150億円)余りの賠償額にて、中国の知的財産権侵害訴訟における損害賠償額の史上最高記録をマーキングした。本事件は、巨額の損害賠償判決であるだけでなく、営業秘密侵害事件の審理および執行に関わる複数の注目点と難題について、画期的な模索を行ったものである。最高人民法院は2026年2月26日に公表した第49回テーマ別指導的事例において、これを第273号指導的事例として公表した。本稿は、本事件の裁判詳細を分析し、指導的事例としての意義を検討することを目的とする。

 

.事件概要:企業間人材移動により引き起こされた「技術ハイジャック」

 

    本事件は、NEV(新エネルギー車)のコア技術分野で発生した典型的な権利侵害事件である。2016年前後、吉利グループ傘下の成都高原公司で重大な人材流出が発生し、総経理、プロジェクトリーダー、技術部長を含む約40人の上級管理職およびコア技術者が集団で退職し、速やかに威馬自動車やその関連会社に入社した。

    吉利側はその後、威馬側が技術蓄積がほぼ皆無の状況下で、わずか2年程度でEXシリーズ電気自動車を発売し、かつ上記の退職者を発明者として、吉利側のコアのシャーシ技術に関する12件の実用新案を出願したことを発見した。吉利側はこれを受け、上海市高級人民法院(第一審裁判所)に訴訟を提起し、請求賠償額は21億元(約400億円)に達した。第一審裁判所は威馬側に700万元(約1.6億円)の賠償を命じるにとどまり、双方とも最高人民法院に上訴した。最高人民法院は第二審において、侵害事実を全面的に認定し、賠償額を6.4億元(約150億円)余りに引き上げるとともに、極めて厳格な侵害停止の執行措置を命じた。

 

.「接触+実質的類似性」原則の具体化:大規模な人材引き抜きを背景とした立証責任の転換

 

    営業秘密侵害事件において、「主張する者が立証する」ことが基本原則であるが、営業秘密事件の原告にとって、立証の困難さは長らく手に負えない問題であった。営業秘密は情報として、さまざまな形式で任意の媒体に記録することができる。現実には、被告が営業秘密を記録した媒体を保有していることを証明することは極めて困難であり、このため、『中華人民共和国不正競争防止法』は2019年の改正において、原告の立証責任を軽減するために、特定の状況における責任転換の規則を明確に定めた。

    指導的事例として、本事件の第一の裁判ポイントは、以下を明確にしたことにある。被疑侵害者が人材を引き抜くことで営業秘密を取得するルートを形成し、かつ不合理な短期間内に類似製品を生み出した場合、権利侵害が成立すると推定することができる。

 

1.営業秘密における「全体的判断」と立証負担の「適時転換」

    従来、被疑侵害者が自身の営業秘密を侵害したことを証明するために、権利者はまず秘密ポイントを明確にした上で、それを一つずつ比較する必要があった。しかし、組織的な人材引き抜きを背景とする場合、このような要求は過度に厳格であると言わざるを得ない。最高人民法院は本事件において、『不正競争防止法』第32条の趣旨に基づき、大規模な組織的人材引き抜きという特殊な背景に対し、本事件における「全体的判断」モデルを決定するとともに、以下のように立証責任を被疑侵害者に転換する規則を具体化した。

    • ルートと機会の認定:最高人民法院は、成都高原公司の総経理、プロジェクト開発チームリーダー、技術部長など、秘密に触れたことのある者約40人が短期間に集中的に威馬に転職し、同一分野の研究開発業務に従事したと認定した。これらの者は退職前に多数の事件関連図面に触れただけでなく、退職前に技術資料を一括ダウンロードする行為さえ存在し、これにより威馬側が吉利側の技術秘密を取得する現実的なルートおよび十分な機会を有していたことが十分に証明される。

    • 研究開発期間の不合理性:最高人民法院は本事件において、事実推定の根拠として研究開発の法則を導入した。専門家の意見によれば、NEV用シャーシのフォワードエンジニアリングにかかる期間は通常3年半(42か月)以上である。それにもかかわらず、威馬(温州)は2016年5月に設立され、そのEX5モデルは2018年9月には量産・販売されており、人材の入社から量産までかかった期間はわずか2年程度で、研究開発の法則に明らかに反していることから、裁判所は、威馬が吉利の技術秘密を利用したと推定した。

    • 立証責任の転換:取得ルートが存在し、技術が類似しており、かつ研究開発期間が非常に不合理である以上、威馬側が完全な独自研究開発記録または合法的な技術出所の証明を提供できない場合、裁判所は侵害を反証する立証責任を被訴側に転換することにより、威馬側が事件関連の技術秘密のすべてを取得し使用したと直接推定した。

 

2.侵害技術のロンダリングに対する司法的否定

    従来の司法実務においては、技術秘密を一つずつ比較することが要求されていた。本事件の第二審判決は、シャーシ設計には一体化、体系的な特徴があり、技術者が形成した技術一式を持ち出した場合、権利者に対して秘密ポイントが使用されたことを一つ一つ証明することを機械的に要求すべきではないと指摘した。威馬側は自身の一部技術が吉利の技術と異なり、独自の改良によるものであると主張したものの、第二審判決書は、元の技術に基づいて修正、改良または最適化を行ったとしても、実質的に類似する特徴を変更しない限り、侵害を構成すると明確に述べた。これは、企業がわずかな変更を加えることで、侵害の責任を免れようとする抜け道を塞ぐものである。

 

.侵害停止の全面的執行:物理的な差止命令から権利処分に至る全方位的制限

 

    第273号指導的事例では、侵害停止責任の負担方式において画期的な模索を行い、義務者に司法判決を自発的に履行させるための司法的知恵を反映している。

 

1.特許処分権の制限という革新

    当該終審判決の注目ポイントの一つは、威馬側が許可なく、侵害技術に基づいて出願した12件の特許に関して、実施、実施許諾、譲渡、質入れ、または処分してはならないことである。これには譲渡の禁止だけでなく、年間維持費の不納付などの方法による悪意ある特許権放棄まで明確に禁止されている。第二審裁判所は、他社の技術秘密を利用して出願した特許は侵害行為の継続であり、処分権を制限することは、真の権利者の特許権帰属変更前の合法的利益を保護するためであると判断した。これは従来の判決においては極めて稀である。このように侵害停止を特許処分権にまで拡張する手法は、侵害行為の後続的な逸脱リスクを解決し、司法分野における重大な突破である。

 

2.5つの要求」によって構築された全方位的な執行圧力

    本事件のもう一つの注目ポイントは、普遍的に存在する「執行困難」の問題に対応したことである。本事件に関わる営業秘密の侵害継続期間、侵害の方法、侵害の範囲や損害の程度を考慮し、最高人民法院は判決主文における「侵害停止」の判決項目について綿密に述べ、これらの不作為行為に対し完全な実行可能性を与えた。具体的には、裁判所は「5つの要求」を設定し、責任主体を上流・下流の事業者にまで及ぼした。

    • 製造・販売の禁止:本事件に関わる秘密を使用したシャーシおよび完成車の製造・販売を停止すること。

    • 媒体の廃棄:裁判所の監督または権利者の立会いのもと、秘密を記載したすべての図面・デジタルモデルを廃棄または引き渡すこと。

    • リスクの通知:公告および内部通知の形式で、株主、役員、退職した従業員、および上流・下流のサプライヤーに通知すること。

    • 個別の誓約:関連するすべての研究開発者およびサプライヤーが秘密保持および不侵害誓約書に署名すること。

    • 報告書の提出:吉利側が閲覧できるように、裁判所に執行状況報告書を提出すること。

 

3.高額な日割り計算による遅延賠償金

    判決が履行されない事態を確実に回避するため、第二審判決は以下のように、金銭以外の給付義務に関する遅延賠償金の基準を明確にした。製造・販売の停止を拒否した場合、1100万元(約2000万円)の罰金を科する。許可なく特許を処分した場合、1件につき100万元(約2000万円)の罰金を科する。期限までに媒体の廃棄または関係者への通知を行わなかった場合、1日10万元(約200万円)の罰金を科する。このような具体化された執行規則および極めて高い処罰基準は、裁判の抑止力を大幅に高め、威馬側が2024年8月までに金銭以外のすべての義務を自発的に履行することを直接的に促した。

 

.損害賠償額の計算:資金調達評価額と研究開発コスト削減額の定量化

 

    威馬側は、自社製品が一貫して赤字状態にあると主張し、これにより利益に基づく賠償を免れようと試みた。本事件において最高人民法院は、科学的な財務モデルを構築し、6.4億元(約150億円)賠償の判決論理を形成した。

 

1.同業界の代表的企業の利益率を参考に

    威馬側は利益を生み出していないと弁解したが、裁判所は、侵害による利益には帳簿上の利益だけでなく、削減されたコストも含まれると判断した。裁判所は、市場における代表的企業の同期間の10.6%~17.9%の粗利率を参考にし、威馬が大規模な人材引き抜きにより数億元規模の研究開発コストを削減したことを考慮し、最終的に20%で利益率を算定すると決定した。

 

2.技術貢献率のウェイト配分

    裁判所は以下のような関連する資産評価報告書の論理を採用した。シャーシは完成車に占めるウェイトが40%であり、完成車技術の利益分配率が25%であることから、シャーシ技術の利益貢献率は10%(25%×40%)となる。本事件に関わる秘密がシャーシのコア技術に該当することを考慮し、最終的に完成車の販売利益に対する貢献率を8%と認定した。

    具体的な損害賠償額の計算にあたり、最高人民法院は以下の計算式を採用した。

    損害賠償額=販売台数 × 平均単価 × 20%(利益率) × 8%(技術秘密の貢献率)

 

3.懲罰的損害賠償の適用基準

    威馬側の侵害行為の継続期間が比較的長かったため、最高人民法院は最終的な賠償額を計算する際に期間を分けて処理し、すなわち、2019年4月改正の『不正競争防止法』施行前と施行後に分けた。裁判所は最終的に威馬側に明らかな侵害の故意があり、大規模な人材引き抜き、悪意による秘密開示および特許出願などの面で情状が深刻であると認定したものの、法律改正前の侵害行為については補償的損害賠償のみを計算し、法律改正後の権利侵害による利益(約2.04億元(約40億円))に対してのみ2倍の懲罰的損害賠償(上限は5倍)を適用した。これにより、賠償総額は6.4億元(約150億円)に上昇した。吉利側は訴訟において、威馬側が侵害技術を含むモデルにより百億元規模の資金を調達し、約4億元(約80億円)の研究開発コストを削減したことを指摘しており、これは6.4億元(約150億円)の損害賠償額が商業論理上合理的であることを副次的に裏付けている。

 

.273号指導的事例の意義

 

    本事件は2026年に最高人民法院により指導的事例に選定され、その意義は事件自体をはるかに超え、中国の知的財産権裁判史における重要なマイルストーンとなっている。

 

1.大規模な人材移動下における「推定規則」の確立

    ハイテク産業における人材移動が加速するにつれ、「人材とともに技術を持ち込む」形での侵害行為がますます一般化している。企業は合法的な手段で人材を採用することはできるが、これを隠れ蓑として組織的に他社の技術成果を持ち出すことは決して許されない。第273号指導的事例が確立した推定の論理は、権利者が抱える「立証困難、証明困難」という長年の弊害を効果的に解消し、司法機関が新エネルギー、人工知能などのハイテク分野における類似紛争に対応するための規範的な手本を示した。

 

2.「賠償による救済」から「全面的な抑止」への飛躍の実現

    本事件は侵害停止の措置を具体化することにより、従来の「賠償重視、執行軽視」という行き詰まりを打ち破った。第273号指導的事例は、侵害停止と高額な遅延賠償金に関する制度を詳細に定め、司法機関が裁判内容を具体化することで「無訴訟」または「無執行」の目標を達成する方法を示しており、極めて高い執行上の指導的意義を有する。したがって、企業は、侵害を行った場合、巨額の罰金だけでなく、コア製品の販売禁止、研究開発資料の廃棄、さらには特許権の処分が不可能になるという壊滅的な打撃を受ける可能性があることを認識しなければならない。

 

3.市場経済の保護と競争のレッドラインの画定

    本事例は、中国の知的財産権保護が「厳格な保護、高水準の保護」の時代に突入したことを市場に明確に示している。これは企業に対し、不正な手段により他社の成果を横取りするいかなる行為も、破産に至る法的代償を負うことになると警告し、資金と技術を独自の研究開発に使うというあるべき姿に戻るよう導くものである。

 

.本事件から得るべき教訓:規則を守ってこそ遠くまで進める

 

1.企業コンプライアンス体制の整備・充実:企業は、苦労せずに利益を得ることを期待すべきではない。本事件は代表的なコンプライアンス違反事例であり、企業は従業員の入社時に厳格に身元を調査し、盗用防止メカ  ニズムを構築し、コア人材の移動による法的リスクの発生を回避しなければならない。

2.知的財産権保護は体系的な取り組みである:吉利が勝訴できたのは、秘密媒体に秘密レベルを明記し、グループ管理システムにアクセス記録を設定し、綿密な秘密保持契約を締結していたからである。これはすべての  イノベーション主体に対し、知的財産権の価値は綿密な社内制度を通じて守られなければならないことを示している。

3.誠実な訴訟は企業の最終防衛線である:威馬側は第二審で証拠を評価した上で虚偽の抗弁を放棄したため、裁判所から懲罰的損害賠償の倍率の酌量減軽を受けた。これは企業に対し、訴訟において信義誠実の原則を貫くことは、法律上の要求であるだけでなく、量刑・損害賠償額の裁定においても確実に積極的効果があることを示している。

 

    第273号指導的事例の発表は、吉利と威馬の紛争に終止符を打っただけでなく、法的レベルにおいて技術秘密の保護に関する綿密な体系を構築した。これはすべての市場主体に対し、質の高い発展への道においては、イノベーションを尊重し、信義誠実の原則を遵守することによってのみ、安定的かつ長期的に成長していけることを示した。

 

 

著者プロフィール:

    王勇氏は、1991年に上海華東師範大学を卒業し、コンピュータ科学の学士号を取得しました。1994年に中国科学院計算技術研究所にて修士号(工学)を、2005年に中国人民大学にて法学修士号を取得しました。1991年から2006年まで中国特許代理(香港)有限公司に勤務し、電気学部マネージャーを務めていました。2007年1月から泛華偉業知識産権代理有限公司に加入しました。 専門は、コンピュータハードウェア及びソフトウェア、通信技術、半導体装置、自動制御、家電製品等多岐にわたり、特許明細書の作成から権利化、無効審判、訴訟、ソフトウェア保護に至るまで、幅広い分野で深い知見と豊富な経験を有しています。 

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